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東京高等裁判所 昭和60年(う)367号 判決 1985年12月27日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人遠山泰夫が提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官提出の答弁書にそれぞれ記載してあるとおりであるから、これらをここに引用する。

控訴趣意のうち、原判決には不法に公訴を受理した違法又は審判の請求を受けない事件について判決をした違法があるとの主張について<省略>

控訴趣意のうち、法令適用の誤りの主張について

所論は、要するに、原判決は本件において被告人がその運転する普通貨物自動車(軽四輪)の後部荷台に廣木誠司及び大谷慶永が同乗していたのを認識していなかつた事実を認定しており、また、右両名が同乗していたことを認識する可能性があつたことを認定していないのであるから、被告人には右両名が転落して死亡することについて予見可能性も予見義務もないのであつて、被告人が右両名の死亡について業務上過失致死の罪責を負うべき根拠はないのに、被告人が過失によつて右両名を死亡させた業務上過失致死罪が成立するとした原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある、というのである。

そこで、記録を調査して検討することとする。

本件について訴訟の経過及び原判決の事実認定をみるに、本件訴因の概要は被告人がその運転する普通貨物自動車(軽四輪)を過失により暴走させて道路左側に設置してある信号柱に自車左側後部荷台を激突させ、その衝撃により、後部荷台に同乗していた廣木誠司及び大谷慶永を道路に転落させ、よつて、それぞれ死亡させ、また、助手席に同乗していた佐藤浩に対し傷害を負わせたものである旨をいうものであるが、右訴因について、原審において検察官は右廣木誠司及び大谷慶永が後部荷台に同乗しているのを被告人が認識していた旨の釈明をしたところ、審理の結果、原判決は、「罪となるべき事実」においては被告人が右両名の同乗を認識していたか否かについて判示することなく、過失によつて右両名をそれぞれ死亡させた旨の事実を認定しているが、「弁護人の主張に対する判断」の項においては被告人が右両名の同乗を認識していた事実を認定できない旨を説示しているのである。

関係証拠によれば、廣木誠司及び大谷慶永両名の死亡並びに佐藤浩の傷害は、いずれも被告人運転の車両が道路左側に設置してある信号柱に激突した衝撃によつて生じたものであり、被告人運転の車両の右信号柱への激突は、被告人が原判決判示の日時場所において道路標識により指定された最高速度(三〇キロメートル毎時)を守り、ハンドル、ブレーキなどを的確に操作して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、時速約六五キロメートル(訴因では時速約八〇キロメートル)の高速度で進行し、折から反対側道路を対向して進行してきた車両を認め狼狽し、左に急転把した過失により、道路左側のガードレールに衝突しそうになつたのであわてて右に急転把し、自車の走行の自由を失わせ、蛇行して進行したあと左斜め前方に暴走させた結果発生したものであることが優に肯認することができる。

ところで、右注意義務は道路を走行中の車両が運転者の制御に服さなくなることによつて生じる人の生命身体を侵害する高度の危険を防止するために車両を運転する者に課せられているのであつて、右注意義務を怠つて自動車を運転走行させて自車を制御することができなくなり、これを暴走させて原判決のごとき衝突事故の発生した場合、自車の同乗者更には歩行者、他の車両の運転者及びその同乗者等に対する死傷の結果を惹起せしめる危険のあることは自動車運転者として当然認識しうべかりしところであるから、被告人において、たとえ原判示自動車後部荷台に原判示被害者の乗車している事実を認識していなかつたとしても、被告人が自己の運転する自動車の衝突により原判示死亡の結果を生ぜしめた以上、被告人としては右同乗者らに対する原判示過失致死の罪責を免れないことは当然である。(なお、被告人が廣木誠司及び大谷慶永の各死亡の結果を現に予見できたか否かを事案に即して具体的に検討しておくと、原判決によれば被告人が右両名の同乗の事実を認識していたと認定することはできないというのであるから、これを前提とすることとして、次に、被告人が右両名の同乗の事実を認識できたか否かの点について考察するに、人が普通貨物自動車(軽四輪を含む。)の後部荷台に乗車することは時にあることであつて必ずしも極めて異常な事態ではないから、人が後部荷台に乗車していることがありうるとの認識可能性は一般的に存在するところであり、また、本件においてこれが認識できなくなる特段の事情は認められず、むしろ、関係証拠によれば、被告人が本件車両に乗車して運転席に着く時点に廣木誠司及び大谷慶永が後部荷台にすでに乗り込んでおり、あるいは乗り込もうとしていたのであれば、その状況が被告人に見えることはもちろんであり、そうではなくて被告人が乗車して運転席に着いた後に右両名が後部荷台に乗り込んだものであるとしても、本件軽四輪貨物自動車の後部荷台に人が乗り込むと車体が相当に揺れて運転席に座つている者にそれが感じられるのであるから、いずれにしても被告人が後部荷台に右両名が同乗していたことを認識する可能性は一般の場合よりも更に高かつたことが明らかであつて、結局被告人には右両名が後部荷台に乗車していることの認識可能性があつたと認められる以上、過失によつて本件のような危険な運転行為をして衝突事故の発生した場合、右同乗者の死傷を惹起せしめる危険のあることは当然予見できることであるというべきである。)

また、所論中に信頼の原則の適用をいう点があるが、前記説示にかかる事実関係に照らし、本件において被告人が廣木誠司及び大谷慶永の各死亡につき信頼の原則の適用により過失致死の罪責を免れるものではないことは明かである。

以上を要するに、原判決の認定する右事実関係によれば、被告人は自車の助手席に同乗していた佐藤浩の傷害について業務上過失傷害の罪責を負うのみならず、自車後部荷台に同乗していた廣木誠司及び大谷慶永の各死亡についてそれぞれ業務上過失致死の罪責を負うものであるというべきであり、これと同旨に出た原審の判断は正当であり、原判決に所論の指摘する法令適用の誤りがあるとは認められない。

結局、論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官内藤丈夫 裁判官前田一昭 裁判官本吉邦夫

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